最近、私は“安心”にとても敏感なんだと気づいた。
人との距離感。
恋愛。
居場所。
仕事。
一見、普通に生活しているように見えても、
私はずっと、心のどこかで『安心できる場所』を探していた気がする。
なぜ私はこんなにも安心を求めるのか。
ジャーナリングをしながら、自分の過去を振り返っていくうちに、
少しずつ見えてきたことがある。
どこにも「絶対」はないと思って生きてきた
私は居場所を複数作っている。
会社の同僚、学生時代の友達、茶道、ピラティス、英会話など
どこかがダメになってもいいようにしている。
あとは誰に対しても、半分期待していない。
裏切られる可能性があって、相手を信じきれていない自分がいる。
だから人に頼るのも苦手。
どこにも絶対はないと思っている。
小学生の時、歴史が好きで、特に織田信長が好きだったんだけど
信長が「絶対は絶対にない」と言う言葉を残した。
それを聞いて本当にそうだと思った。
私は「絶対的な味方」が欲しかった
絶対はないと言う考え方になってしまったのは過去の家庭環境が大きいと思っている。
小2で両親が離婚し、母がいなくなり中学の時に父が再婚した。
そして祖母に育てられていた。
子供の頃、私は「何があっても味方でいてくれる人」が欲しかった。
だから恋愛でも慎重になるし安心できる人を強く求めてる。
筋が通ってない人が苦手で誠実な人でないと見切りをつけてしまう。
私は誰かに腹が立った場合、そのまま怒りをぶつけず、
諦めが勝ってしまい、フェードアウトしてしまう。
辛かった家庭環境によって「傷つきたくない」と「安心したい」があった。
人に頼るより、自分で立つことを覚えた
子供にとって家族と学校が世界だった。
だから早く大人になって自立したかった。
1人でも生きていける強さが欲しかった。
今、自分一人を食べさせることができて、やりたいことができて
自分の城を築けてとても幸せに感じている。
だからさらに甘えられなくなってしまったのかもしれない。
安心を求めながら、人を簡単には信じられない
子供にとって家族が世界の1つ。
この中で生きていくには、相手が何を考えてどのように行動しなければならないのか、かなり鍛えられた。
だから人を見て何を感じているか、その人の行動でどうしたいのか色んなものが見えてしまう。
見えた時、その人が筋の通ってないことをしていると不誠実に思えてしまって、
私は信用できなくなり、その人から離れてしまう。
私は0か100の考えになってしまっている。
人間、誰しも完璧ではないのに、裏切られる不安から、許せなくなってしまっている。
恋愛でも同じく、誠実さを見てしまう。
ジャーナリングで見えてきたこと
中学生の頃から、書くことで自分の気持ちを整理していた。
日記の延長上ではあったが、事実を書いて、私の行動が間違っていたのか
私が何を思ったのかを、書いていた。
今思えば、ジャーナリングのようなことをしていた。
最近、書いて気付いたことは、「安心への飢え」
生き延びるためにはどうしたらいいかを必死に考えてきたんだと思う。
今は、「安心」を外側だけに求めない練習をしている
今は少しずつ、誰かに安心を求めるのではなく
自分で自分を安心させていきたいと思っている。
まだ完全には信じられないけど。
自分自身が1番の味方だから。

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